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【世事関心】  ニクソン家と毛沢東の赤い絆・パート1

2011年02月11日

【新唐人2011年2月12日】

【司会者】
こんにちは、“世事関心”の時間です。カリフォルニア州のアーバイン市――ニクソン元米大統領の故郷には、大統領の名を冠した図書館と基金会があります。歴代米大統領の図書館の中でも、ニクソン図書館は最も特殊です。
 
最も特徴的な2点とは、まず2007年まで唯一個人所有の元大統領の博物館だった点。第2が米国で唯一展示品において、中国の元指導者――毛沢東と周恩来の彫像がある点です。ニクソン図書館の毛沢東像に関し、2009年6月から一連の出来事が起こり、社会の脚光を浴びました。
 
ロサンゼルス東南部のこの町は、カリフォルニア州第2の人口を誇り、ここ数年、華人の人口が急速に増えています。2000年からの9年間で、約45%増加。カリフォルニア州のオレンジ郡アーバイン市の18万5千の人口のうち、華人は2万2千人を占めます。そこで、中国関連の話題が社会の注目を浴びるのです。
 
アメリカで唯一無二とされる毛沢東と周恩来の銅像が、ニクソン図書館に展示されています。傍らには、ニクソン元大統領と交遊のあった、世界の指導者11名の彫像もあります。
 
例えば、イギリスのチャーチル首相。フランスのド・ゴール大統領。旧ソ連のフルシチョフ氏など。ただし、毛沢東と周恩来の彫像だけが座った姿で、ホールでもっとも目立つ場所に置かれています。
 
2009年6月、現在ロサンゼルスに住む、バスケットの元中国代表、陳凱氏がニクソン図書館で毛沢東の彫像が飾られている点に抗議。自由を愛する中国人移民として、アメリカ国民として、ニクソン図書館と交渉することにしました。毛沢東と周恩来の彫像を直ちに撤去するよう求めたのです。
 
2009年10月1日
陳凱氏 ニクソン図書館の外で抗議
“毛沢東像の撤去”を求める
 
2009年10月1日、国慶節60周年で北京が沸いていた頃、陳氏はニクソン図書館の外で、抗議をしました。陳氏が始めた“毛沢東像の撤去運動”は、中国人だけではなく、アメリカ社会の価値観にすら関わるものでした。そこで、アメリカの主要メディアも注目します。
 
アメリカで発行部数第4位の新聞、“ロサンゼルス・タイムズ”は、“ニクソン図書館が醸した物議”という見出しの記事を掲載。また“ニクソンの遺産が図書館でよみがえった”と題する記事でも、この事件を取り上げました。
 
さらに、ボイス・オブ・アメリカ、NBCテレビもこれに注目しました。この事件は、華人コミュニティーという枠をはるかに超えて広がっていったのです。
 
歴史上の人物として、毛沢東に関する映像と文字の資料は、みな公文書や書籍の中に残されています。歴史に対し、個人の意見を発表することも出来るはずです。一方、陳氏は毛沢東の彫像が図書館に展示されている点に抗議しました。これはなぜなのでしょうか。
 
バスケの元中国代表 陳凱
“歴史上の人物を陳列することには私も抗議しません。ニクソン図書館には、毛沢東像のほか映像や写真があります。これには抗議しません。歴史は記録されるべきです。ただ歴史を読み解くのが肝心です。同時に、銅像自身がその他のいわゆる世界の指導者の銅像と一緒に置かれています。民主・自由世界の指導者たちが毛沢東像と一緒に置かれている、そして全ての人が敬い慕う。これは非常に道徳をゆがませ、ふさわしくないです。
 
私は以前、電話でルーズベルト大統領図書館に尋ねました。当時、ルーズベルト大統領はソ連と同盟を結んでいましたが、スターリンの銅像を置いていますかと。当時、図書館の責任者は否定しました。スターリンの銅像は置いたことはなく、置きたくもないと言いました”
 
【司会者】
図書館側によると、世界の指導者ホールの銅像はニクソン元大統領が決めてから、NYの芸術家2名が完成させました。これら銅像の姿勢とデザインには、統一した考え方があります。作品が完成したのは1990年。欧米が天安門事件で、中国政府を非難していた頃です。
この毛沢東と周恩来の像からは、ニクソン氏と中国共産党の特殊な関係が見えてきます。ではまずは1972年のピンポン外交をご覧ください。
 
米テレビアナウンサー
“こんばんは、米国第37代大統領リチャード・ニクソン氏が中国を米国トップとして史上初めて、世界一の人口の国を訪問”
 
1972年2月21日、アメリカ国民は夜のニュースで自国の大統領の北京訪問を知ります。アメリカは、最も独裁的な共産党に対し、自由世界への扉を開いたのです。
 
長年の敵同士が突如、友好な関係になったのは、共通の敵――ソ連に対抗するためでした。
 
1960年代から、アメリカは次々と挫折に見舞われます。例えば1961年、カストロ政権の転覆作戦が失敗。そして泥沼にはまったベトナム戦争。死傷者が増え続け、反戦活動がピークに達します。この時期大統領に就任したニクソン氏は、まずは内政問題を一番の優先課題にしました。
 
したがって中国を支持し、ソ連と対抗することにしました。アメリカの力の衰えによる、ソ連の勢力拡大を防ぐのが狙いです。この頃中国政府は、ソ連との関係が急速に悪化していました。さらに欧米からは経済封鎖を受け、孤立していました。
 
毛沢東は米ソの板ばさみになるのを避けるため、欧米との関係改善が急務になりました。こうして、両者の思惑が一致したのです。
 
ニクソン大統領は、中国訪問により平和と協力がもたらされると考えていたといいます。この米中関係の急激な接近は、国際社会に衝撃を与えました。大統領の影響力も増し、政治家として絶頂を迎えましたが、これも長くは続きませんでした。
 
1972年大統領が中国訪問したその年、大統領の関係者が、選挙戦のライバル――民主党の入るビルに盗聴器をしかけたことが暴露されます。
 
ベトナム戦争終結という功績で留任を果たしたニクソン大統領ですが、ウォーターゲート事件によって事態は一変します。1974年、国会が弾劾決議を準備していた頃、同年8月8日、失望の面持ちで辞職を発表。史上初めて、アメリカの大統領が、弾劾を受けて辞職に追い込まれたのです。
 
ニクソン大統領・辞職演説
“ウォーターゲート事件”によって、国会の支持を得られなくなるでしょう。非常に困難な決意をする必要性を考慮しています(辞職)。この職位において、国益にかなう形で私の職務を履行します
 
不名誉な形で職を去ったニクソン大統領。そのため、ニクソン大統領図書館はずっと、アメリカ国立公文書館の大統領図書館に認定されませんでした。
 
2007年、図書館の管理にあたるニクソン基金の要求で、アメリカ政府は公的施設としての認定にようやく同意。2009年の段階で、連邦政府とニクソン基金の引継ぎが、まだ行われていました。(次回へ続く)
 
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